東京高等裁判所 昭和54年(行コ)108号 判決 1981年2月09日
神奈川県藤沢市朝日町一丁目一一番
控訴人
藤沢税務署長
小野寺金一
右指定代理人
野崎弥純
同
三上正生
同
中村政雄
同
山崎正隆
神奈川県鎌倉市由比が浜二丁目二四番一六号
被控訴人
沼正也
主文
原判決を取消す。
被控訴人の請求をいずれも棄却する。
控訴費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
当時者双方の事実上及び法律上の主張並びに証拠の関係は次のとおり付加するほか原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。
控訴人は当審における新たな証拠として、乙第五ないし第一三号証(ただし乙第五証、第八ないし第一三号証はいずれも写)を提出し、当審における被控訴人本人尋問の結果を援用し、被控訴人は乙第六、七号証の成立は認める、第一三号証の原本の存在並びに成立は知らない、その余の乙号各証は原本の存在並びに成立とも認めると述べた。
理由
一 請求原因1及び2の事実並びに控訴人主張1の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで被控訴人が昭和四一年中に訴外三和書房から受領した六〇万円が著作集2、4、5、6の印税の内払であるか否かについて検討する。
1 被控訴人が昭和三〇年頃から三和書房より法学教科書として「法学序説」を、また沼正也著作集として著作集1、2、4、5、6、7をそれぞれ出版していたことは当事者間に争いがない。
2 右争いのない事実に成立に争いのない甲第一ないし第六号証の各一、二、乙第二号証、原本の存在と成立につき争いのない乙第一一号証、原審証人田中健次の証言並びに原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果(ただしいずれも後記措信しない部分を除く。)を綜合すれば、次の事実が認められる。
(一) 三和書房は印税支払に関する事務について出版図書ごとに補助簿として著書別カードを設け、これに著書の発行年月日、発行部数、小売価格、印税額、印税支払年月日等の支払事績を記帳していたこと、そして被控訴人の著作集2の「財産法の原理と家族法の原理」の著書別カードには、著作集2、4、5、6の四点込内払として昭和四一年三月八日に一〇万円、同年五月二三日に二〇万円、同年六月一七日に三〇万円を三和書房が被控訴人に支払つた旨の記載があり、かつ右各期日頃に右各金員が支払われていること。
(二) また同じく「法学序説」の著書別カードには、昭和三一年から昭和三五年までは小売価格の一七パーセントにあたる印税合計四九万〇六二〇円を、昭和三六年から昭和三八年までは同じく一八パーセントにあたる印税合計三九万六〇〇〇円を三和書房において被控訴人に支払つた旨の記載があり、かつ右記載のとおり金員が支払われていること、さらに著作集1の「親族法の総論的構造」の著書別カードには昭和三一年から昭和三五年までは小売価格の一七パーセントにあたる印税合計八万八四〇〇円を、昭和三六年から昭和三九年までは同じく一八パーセントにあたる印税合計三一万二一二〇円を被控訴人に支払つた旨の記載があり、かつその頃右記載のとおり各金員が支払われていること、
(三) また三和書房は自己を原告とし上京税務署長を被告として同署長の源泉徴収に係る所得税納税告知処分の取消を求めた京都地方裁判所昭和四五年(行ウ)第一一号課税処分取消請求事件において前記六〇万円が被控訴人に対する印税の支払であることを認めていること、
以上の事実が認められ原審証人田中健次の証言並びに原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信せず、他に右認定に反する的確な証拠はない。
右認定の事実によれば、三和書房が被控訴人に支払つた前記六〇万円は、特段の事情がないかぎり、著作集2、4、5、6の印税として支払われたものと解するのが相当である。
3 そこで本件につき右六〇万円が前記印税の支払ではないと認むべき特段の事情が存するか否かについて検討する。
(一) 被控訴人は、三和書房が判決録出版の費用にあてるために、同書房出版にかかる被控訴人の著作集はすべて無印税とし、前記六〇万円は被控訴人が右判決録刊行のために本来三和書房が負担すべき費用を同人に代つて支払つた立替金の内入弁済として受領したものである旨主張し、成立に争いのない乙第二、三号証、官署作成部分については成立に争いがなく、その余の部分については弁論全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一九号証の一、二、原審証人田中健次の証言、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果中には右主張にそう記載ないし供述が存しないわけではなく、また成立に争いのない甲第三七号証の(イ)ないし(ホ)、(ヘ)の一、二、(ト)ないし(ヨ)、同第三八号証の(イ)、(ロ)、同第三九号証の(イ)ないし(ホ)、(ヘ)の一、二、(ト)ないし(リ)によれば、被控訴人又は刊行会が前記判決録の編集のため筆写、撮影等の費用を支出している事実が認められる。
しかしながら一般に著作者は著書の発行部数ないし販売部数に応じて印税を受領するのを通例とするものであるところ、前示証言及び供述のうち、被控訴人の主張にそう部分も、無印税とした理由・経緯については必しも明確ではないうえに本件においては被控訴人主張の著作集を無印税とする特約の存在を認めるにたる契約書等は存しない。(因みに、原本の存在及び成立に争いのない乙第八・九号証によれば、刊行会と三和書房との間の判決録の出版契約には、初版は無印税とする、との明示の条項があることが認められる。)また無印税の特約があつたとするならば、これらの著書にかかる著書別カードを作成する必要はないはずであるのに前記甲第三ないし第六号証の各一、二、乙第二号証に弁論の全趣旨を総合すれば、無印税とされる著作集1、2、4、5、6についても著書別カードが作成され、かつこれらが印税支払の約束があるとされる他の著書即ち「法学序説」等の著書別カードと共に同一帳簿に編綴されており、加えて著作集2の著書別カードには三和書房が被控訴人に対し昭和四〇年五月一四日著作集2、4、5、6の印税の内払として三〇万円を支払つた旨の記載のあることが認められるから、著作集1、2、4、5、6の著書別カードもその余の著書別カードと同様印税支払のための補助簿であると推認すべきものであり、しかも前記乙第二号証によれば、被控訴人との交渉にあたった三和書房東京支店長田中勤、同支店経理担当者玉木敦は被控訴人に対し印税を支払う必要のあることを認識していたことが認められる。さらに原本の存在と成立につき争いのない乙第一〇号証によれば、被控訴人の妻が被控訴人に代つて昭和四二年六月九日付で三和書房東京支店長宛に差出した書面(絵葉書)においては「印税」という言葉が用いられており、支払方法等まで詳細に指示して被控訴人がその支払を請求している事実が認められる。以上の諸事実と対比して考えてみると無印税の特約が存したとの被控訴人の主張にそう前掲各証拠はたやすく措信しがたいものといわなければならない。
なお、被控訴人は、著作集を無印税とした事実の徴憑として、これら刊本の奥付に被控訴人の検印に代わり「三和書房」の押印や「検印不要」等の印刷がなされあるいは検印欄のないものもありまた著作集4ないし6の著書別カードについても書名のみ記載され、その殆んどは出版部数さえ記載されていない旨主張する。たしかに成立に争いのない甲第九号証の一ないし四、同第一〇号証の一ないし六、同第一一号証の一ないし四、同第一二ないし第一五号証の各一、二によれば、三和書房は著者である被控訴人の検印に代えて著作集2の奥付には「三和書房」なる押印をし、著作集4の奥村には「検印不要」と、著作集5ないし7の奥付には「著者との協定により検印不要」とそれぞれ印刷している事実が認められるが、右の事実は、我国の出版界において印税支払のための一方法とされている険印という方法を、右の著書について採らないことを示すに止まるものであるから、右の事実が存するからといつてそれだけで直ちに前段の認定を覆して右各著作集が無印税であることの証左とすることはできないものであり、また前記カードが殆んど白紙のままであることが無印税の証左となしえないことは後述のとおりであるから、被控訴人主張の右各事実によつて、その主張の無印税の事実を肯認することはできない。
更に、前示乙第三号証、乙第八、九号証によれば、前記判決録の刊行について三和書房と刊行会との間に締結された出版契約書においては刊行会は右判決録の著作編集並びに校正に関する一切の責任を負い、三和書房は出版発行に関する一切の責任を負う旨定められており、かつ前記被控訴人本人尋問の結果によれば右刊行会の事実上の構成員は被控訴人一人であると認められるから、判決録の編集等に要する費用は刊行会ひいては被控訴人において負担すべきものといわなければならない。そうして、被控訴人が判決録の刊行につき支出した費用は、冒頭に認定したとおりその編集に関するものであるから、これらは被控訴人の負担すべきものであり、右のほかに被控訴人において三和書房の負担すべき判決録の出版に関する費用を支払つたことを認めるにたる的確な証拠はないから、判決録の刊行に関し被控訴人が三和書房に立替金を有すると認めることも困難である。
以上のとおり、被控訴人の著作集が無印税であることも、また被控訴人が三和書房に対し判決録の刊行に関し立替金を有することも、いづれも認め難いから、被控訴人の冒頭掲記の主張は採用することができない。
(二) 次に被控訴人は、前記六〇万円は昭和四〇年五月二三日の火災によつて三和書房本社社屋が焼失した際被控訴人の著作集の原稿、紙型等を焼失したため、それにより被控訴人が蒙つた損害を賠償する意思で支払われたものであると主張するので検討するに、前掲甲第一九号証の二、原審証人田中健二の供述中には右主張にそう記載ないし供述が存するが、右証言及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第三五号証並びに原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、右六〇万円の支払がなされた当時は未だ前記火災に基づく被控訴人の損害額、従つて賠償額について三和書房と被控訴人間に合意が成立していなかつたことが明らかであるから、右六〇万円が損害賠償の内払として支払われた旨の右主張はその余の点を検討するまでもなく理由がなく採用のかぎりではない。
(三) 更に被控訴人は著作集2の著書別カードの昭和四一年度の各金額に対する説明記載はその上欄にある昭和四〇年五月一四日欄記載の「内払(著作集2、4、5、6四点込にて)」の「内払」の部分だけを受け、丸括弧内の部分を受けるものではないから前記六〇万円は著作集2、4、5、6に対する印税ではないと主張する。たしかに前記甲第三号証の一によれば、右カードの昭和四〇年五月一四日欄には「内払(著作集2、4、5、6四点込にて)」との記載があり、昭和四一年三月八日、五月二三日、六月一七日の各欄には前記「内払」の下部にあたる部分に「上と同じ」の趣旨を示す符号「〃」が付されているのみで前記丸括弧内の下部にあたる部分には「〃」の符号が付されていない事実が認められるが、本来括弧書はその前の本文を補充したり説明したりする趣旨のものでこれと一体をなすものと解するべきものであるから本文にあたる「内払」の下部に「〃」の符号が付されている以上、右「〃」の符号は「内払(著作集2、4、5、6四点込にて)」全体を受けるものと解するのが相当である。なお、同号証の昭和三八年五月四日欄をみると、第一欄に「再版(訂正版)」とあり、これに続く第二、第三欄にはいづれも「再版」の下にも「(訂正版)」の下にも共に「〃」の符号があるが、右に認定したところとは記載にかかる事項を異にし、かつ、二年余の日時のへだたりもあるので、これを以て叙上の認定判断を左右するに足るものとはいえない。従つて右カードの記載態様から前記六〇万円が印税であるとする前記認定を覆えすことは困難である。
(四) また被控訴人は、著書別カードは三和書房東京支店における正規の帳簿ではなく、その記帳も本社からの連絡に基づいてなされるものであるから誤記が多く、さらに右カード中には発行部数、定価、印税支払事績の記載を全く欠きあるいは断片的な記載しかないものもあり、加えて被控訴人と無関係な者に対する支払の記載があるなど極めて杜撰なものであるからかかる著書別カードに信を措くことはできない旨主張する。なるほど前掲甲第一ないし第六号証の各一、二、同第一一号証の一ないし四、同第一二ないし第一四号証の各一、二、乙第二、三号証によれば、著作集2の著書別カードには、同書の初版発行が昭和三五年であるにもかかわらず記載は昭和三八年の再版からになつており、その記載内容も部数及び定価のみであり、さらに著作集4は昭和三八年九月二五日に初版が発行されているにかかわらずその著書別カードには何らの記載もなく、著作集5、6の著書別カードにはいずれも昭和三九年一〇月欄に初版の発行部数及び定価が記載されているのみでその余の記載がなされていないなど右各カードには発行部数、、定価、印税支払事績の記載を全く欠くか、あつても断片的、かつ不完全な記載が少なくなく、さらに被控訴人以外の者に関する記載もないわけではない。
しかしながら右著書別カードに右のような不備な点のあることは三和書房東京支店における事務処理の不手際を示すものではあるが、そのことが直ちに右カードが経理上の補助簿であることの前記認定を左右するものではなく、また、その記載のすべてが真実と受取り難いものと速断することもできないものである。なお、前掲甲第五号証の一によれば著作集5の著書別カードの前記被控訴人以外の者に関する記載は、小林一俊に昭和三九年一二月二四日に五〇〇〇円、昭和四〇年二月一〇日に五三五〇円を、石川利夫に昭和四二年六月一七日に二〇万円をそれぞれ支払つた旨の記載であるが、成立に争いのない乙第六、七号証によれば、右記載は右両名が著作集5「法学へのささやかな接近」を自己又は他の大学における講義用教材として使用ないし斡旋したことに対する謝礼として三和書房が右金員を支払つたことを明らかにするため著作集5にかかわる事項として便宜右カードに記載したものと推認されるから右記載の存在することを理由として右カードの記載がすべて事実ではないと断定しうべき限りではない。
(五) 以上のとおり、本件六〇万円が印税の支払ではないとする特段の事情が存するかどうかについて、右金員の性質とこれが支払に関する三和書房(東京支店)の帳簿諸表の性格・信憑性について、被控訴人の主張に即して検討して来たが、遂にこれを認めることはできなかつたし、他に右事情を認むべき主張・立証はない。
4 従つて本件六〇万円は、前2認定のとおり、著作集2、4、5、6の印税として支払われたものと認めるべきである。
三 そこで進んで前記六〇万円が被控訴人の所得として発生した日時及び必要経費について検討するに、本件全証拠を検討するも前記著作集2、4、5、6の各印税の発生日は明らかでなく、従つて著作権者たる被控訴人が当該六〇万円を受領した昭和四一年に所得が発生したと認めるのが相当であり、また右六〇万円を取得するために要した費用が控訴人認定の一八万円を超えることを認めるにたる証拠はない。よつて右六〇万円から右一八万円を控除した四二万円を昭和四一年度の雑所得と認定し、これと当事者間に争いのない前記一の所得金額を合せて同年度の総所得金額を三四二万一〇七五円(給与所得の金額二七〇万九三二〇円、雑所得の金額七一万一七五五円)、所得税額を七四万〇八〇〇円とした控訴人の再更正処分は正当であるといわなければならない。
四 次に控訴人の過少申告加算税賦課決定について検討するに、控訴人の再更正処分による申告納税額が二〇万一八〇〇円、更正処分による申告納税額が一一万〇四〇〇円であることは当事者間に争いがなく、従つて再更正処分に基づいて納付すべき所得税は九万一〇〇〇円(一〇〇〇円未満切捨て。)となるから被控訴人が納付すべき過少申告加算税は国税通則法六五条の規定により四五〇〇円(一〇〇円未満切拾て。)となる。従つて控訴人の本件過少申告加算税賦課決定もまた正当である。
五 してみると被控訴人の本訴請求は理由がないから棄却を免れず、従つてこれと結論を異にする原判決は取消を免ない。よつて行訴法七条、民訴法三八六条、九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 川上泉 裁判官 福井厚士 裁判官賀集唱は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 川上泉)